2012年10月28日日曜日

アウトレイジ ビヨンド


みたよコノヤロー!!

アウトレイジビヨンド公式HP
大友はただのいいじいさんになっていたよ。。。

















なんとか仕事と育児の隙間をぬけてなんとか映画鑑賞できました。

個人的な感想は、凄い俳優しか出ていないので逆に芝居の山場がわかりにくかった、というかストーリーの一番の盛り上がりが何所だ?みたいな。

とにかくすべて通しで盛り上がりなんでしょうね。疲れますが、気をはって集中して観たほうが内容を把握しやすいです。仕事帰りのヘトヘトヘッド&ボディにムチ打ちながら鑑賞しました。

釣りバカ日誌みたいに毎年正月上映しようぜ!

一番の見せ場は『塩見省三と西田敏行』
一番きついなあと感じたのはこの二人がやたらと大友に絡むシーンでした。

前作で大友に顔を切られて、組織から離れた木村をけしかけてマル棒の片岡を使って大友も利用して、みーんな消してしまえ殺っちまえ、みたいなブイブイなノリで強引なとれない染みのような演技をし、観客を畏れさせ鬼胎させる様は、まさに感動もの。

そうです、やたらといい話で素直に泣ける演技とかが満載な作品がいい映画ばかりじゃないんですよ!

 

という、映画ってグロくて悲惨でなんかエロくて。。。という、子供の頃抱いていた映画の原点を思い出させてくれる作品だったと思います。

舟木は前作で白いジャージのボディガード
あと、舟木の殺され方がきちんとスクリーンにでてなかったのが気になる。加藤、石原、木村、片岡…と初代アウトレイジ時代に出ていた人みんなきちんと殺されていた映像があったけど、舟木はそれがなかった。

 

大友みたいにうわさで「死んだ」説が定着したかもしれないし、もしかしたら、片岡が助けたかもしれんし。


そう考えると、まったくの完結ではなく、続編も十分に期待できる。。。そんな甘い期待を彷彿とさせる映画でした。



あと、金田時男はなんなんだ?!フィクサー(事件の調停やもみ消しをして報酬を得る黒幕的人物)という設定だけど、もとはコリアンマフィアでしょ。大友と昔どんなドラマがあったんでしょうね。。。と、果敢ない妄想は広がるばかりです。今後、期待するならば、「コリアンマフィアVSヤクザ」をモチーフにした続編に期待大。

北野たけしという半端ない人が創造する世界観でこの対決をぜひ、劇場でみたいと、激希望中。 




 最後はお決まりの「コノヤロー特集」で。
 









2012年3月24日土曜日

Woman soldier.








兵士」について調べていました。なぜかというと、私自身がここんとこ、やたらと戦っている感じなのです。
日に日にダメージを受けて、白髪も急に増えました。悩みが多い日々ですが、思うようにいくことが成功、思うようにいかないことは成長、との教えに従い、邁進していきたいと思っています。さて、そんな前おきはさておき、
「日本人が知らなくてはいけない新三大・女兵士が活躍する映画」を紹介したいと思います。最近の映画で「女兵士」の活躍が、鮮やかで目覚ましいと感じた映画は『エンジェルウォーズ』でしょうかねえ。。。


『エンジェルウォーズ』のAmber、いいね!
おまけに、もう一枚!!

キャラクターの設定が一応キチンとしていて、いちいち感情移入ができるところがこの映画のおもしろいところだわね。みなさん、なんか、ほのかにエロイしね。

女兵士というか、女囚ですが… 日本の映画で女性が戦う代表的な映画といえば、やっぱ、これかしら。


さて、本題に移り、日本人があまりしらないフィンランドの内戦をテーマにした映画が去年、公開されました。フィンランドといえば、『かもめ食堂』なんか代表的ですが、この、内戦をテーマにして、創られた映画は『4月の涙』という、ホモ映画です。

ホモ映画じゃ、ないよ。繊細な戦争映画だよ!!

この映画の冒頭で主人公の女性が髪をきり、武装するシーンがあるんですが、そこで、絶対的に『エンジェルウォーズ』とはちがう、重みをました愉快さみたいのを確信したのですが、みるみるうちに、なんだか、ホモ色がだんだん濃くなり、「あれー?ヒトラーがケツだしてる?」みたいな感じ?に…

完全なホモ映画だと、ここで断言しても、私はヒトラーに叱られないと思います。
いやいや、それは、やはり間違えで、戦争の残酷さが、人に恋する原始的な気持ちを踏みにじり、あげく、悲しみだけがそこにある…といった、戦争をテーマにしたオモい(キモい?)ヒューマンな人間らしいさまを赤裸々と映像にした映画です。




ミーナは女を武器にして生き延びた兵士

『4月の涙』予告編

この映画をみて、率直な感想は、やはり、フィンランドと日本とくに北海道は似ているよね!という点です。寒さのなかでは生きられない植物、白樺や松(たぶん…)といった樹々が頻繁にカメラのなかにおさめられていて、それを観ながら、「ああ、故郷の林道みたい…」と、ノスタルジックな気分になりました。

それと、ホモのおあいてをするはめになった美声年な頭の良い准士官を演じたこの俳優さん、最初はただのかしこい軍人だったのが、ホモの判事と接してから、みるみるうちに、ホモ好きする顔になっていくんですよ!(だんだん女々しくなるというか。)
おかげで、設定上、ホモの判事に恋したんじゃないか?っていう疑問が拭いきれません!
なのでこの映画は、敵である女兵士に恋をしたため、それを純粋に貫こうとして悲劇がうまれてしまった…という映画ではなく、


「男も女も両方オーケー。僕、戦争のおかげで二刀流になりました。もちろん、楽しみも、にばい、にばぁ〜い!という映画なのではないか?!


高見山、愛称はジェシーだそうです。



話がずれまひた。ごめんなさいね。

本という国は、第二次世界大戦で大変な傷をおいました。その前からも鎖国という文化も浸透していた国です。他国からの弾圧をうけ、莫大な人命が奪われたという、つらい過去があります。
ですが、このフィンランドという国は、他国からの侵略をなんとか乗り切り、独立を果たした国です。だからでしょうかねえ、日本人はこの戦争についてあまり知らなくてもいいんじゃないか?という烙印を日本人によって勝手に押されている感じがします。(日本は負けたからね。)
しかし、フィンランドという国は第二次世界大戦中はナチスに一緒に戦いましょう!宣言をして、ソ連からの攻撃を阻止するため、ドイツから援軍を確保したという外交をしてきました。その一方で、ドイツから逃げてきたユダヤ人を保護していたという事実もあります。(詳しくは継続戦争)
どうですか、この姿勢。最大の防御は攻めという、戦いにおいて勝利をおさめることができる基本パターンを保っています。この、フィンランドという国の外交は素晴らしいと思います。それにひきかえ、日本の外交は?…。

できれば、このフィンランドの内戦から冬戦争、継続戦争あたりを歴史や社会という科目でみっちり、日本の中坊にも仕込むべきだと思いますよ、私は。

という訳で、この映画は、ホモ映画でなく、戦争はしてはいけない、負けても勝っても人命が絶たれるだけだけど、このフィンランドという国の戦時中におこなった外交は学ぶべきだ!!として、「日本人が知らなくてはいけない新三大・女兵士が活躍する映画」のひとつにしたいと思います。

以上!!







2012年3月10日土曜日

新・三大「日本映画において偉大すぎてよくわからない監督」その2

まっとさんでした。新三大・「日本映画において偉大すぎてよくわからない監督」その2です。一番目が、黒沢清監督、そして、二番目にあげたい偉大すぎてよくわからない監督は、エロすぎてよくわからない、園子温監督です。


園子温を知った映画『HAZARD』。きゃは♬メイキングだわ。ウフフ

んと、この頃の園子温作品は、まーだ、観れた。『HAZARD』についていえば、映画の構成的にはどーなんだ?とおもいつつも、いきあたりばったり的なカメラワークは緊張感でいっぱいだったし、腐った日常から逃げ出して、あえて危険な場所へいく、あほうな青年役のオダギリジョーはかわいかったし…。

あと、オダギリジョー主演の時効警察では演出・脚本もやっていた園子温。えー?あれは全部、三木聡じゃないのー?!って思う人もいるかもしれませんが、実は、岩松了も演出・脚本してたんです。多分、これは、時効警察で、「雨」という曲がエンディングに流れるときに出てくる、テロップをきちんとみないと、わかんないでしょうねえ、ええ。(自慢げ)




「雨」の原曲は森高千里。やはり彼女はバブリィアイドルの象徴。

子温がどんな脚本で演出をしたかというと、たしか、十文字というデカが時効マジかの犯人に恋しちゃうというお話で、そのマジで恋した犯人のむすめ役が、あの吉高ちゃんでした。このお話では、麻生久美子と吉高ちゃんに意味深な「うすうす…♡」という言葉をやたらと連呼させ、なんだかエロいなあ…と思う演出はありましたが、結果、十文字がいちずで、あま酸っぱな純愛を自ら破り、デカとしての花道を堂々と歩く成長の過程が見事?に描かれて、とても記憶に残るいいお話でした。(涙)

話、飛びまして、最近の日本映画界の賞レースでは、園子温監督の『冷たい熱帯魚』で、あの演技を披露したでんでんが、たしか、助演男優賞をとっていましたね。いやー、日本の映画界は捨て身です。




この役、演じる方も観る方も、大変な労力を使います

んでん演じる、詐欺野郎のおっさんは、もう、耳障りなんだよ!あんたの声が!っていう終止そんな感じで、観ていてそうとうな労力を使いました。後半、殺された時は、かなりホッとしました。鑑賞していて、悪役に殺意を抱いたことは、これが初めてだと思います。映画は娯楽だけではなく、まったく逆の「憂鬱」を味わうことができるんだなと、これは、もしかしたらあのドラえもんに出てくる、ジャイアンのリサイタルを映画にしたのとまったく同じではないのか、と真剣に思う程でした。


詳しくはこちら→ ジャイアンみわくのリサイタルゲームの遊び方をどうぞ。




そして、園子温映画、最大にして最高にわからないのが、奥様の神楽さん。

れ場は必要不可欠なのか?という疑問もあります。濡れ場をみて楽しめる立場ではないので、やたらと長い濡れ場は、おっくうなんです。これもまた、大変な労力を使いました。。。(でも、まったく排除っていうのもねえ…)

こんな無名なボインの女優さんを堂々と主演ばりに使って、その後、結婚しちゃったという園監督。監督からしてみれば、傷ものにしちゃった責任をきちんととります婚だったのかなと思いますが、やっぱり、なんだかよくわかりませーん。

ということで、新・三大「日本映画において偉大すぎてよくわからない監督」その2は、園子温監督に決定☆おめーとーございます☆

その3は、近日中にご紹介致します。
では、おやすみなさい。











新・三大「日本映画において偉大すぎてよくわからない監督」

日本の映画ってどーよ?なんていわないで。実は、すごい監督がわんさかいたりするものです。
でも、実は、わたしも、そんなに、「監督」のことはよくわかりません。
そもそも、映画における監督業ってなに?日本の映画とハリウッドの映画の違いはなに?
つーか、香港映画をみてないと、映画鑑賞を趣味と詠ってはいけないの?それは、マニアじゃねーの?とか、映画鑑賞を趣味としている私ですが、はっきりいって、この「監督」については、よくわかりません。映画を作ることができる人を「監督」と呼ぶ、曖昧な認識だけです。



では、この「監督」と呼ばれている、彼や彼女らの社会的立場はいったいどうなのでしょうか?

たとえば、クレジットカードの申し込みの書類を作成するときに、職業の欄に「監督」と書かれていたら、どうでしょう?

この、クレジットカードを作成する書類をチェックしなければならない事務処理をメインとした仕事をしている人に「あ!」と思わせる位の影響力はありますよね。
でも、それだけで、年収はいがいと「ええっ?」だったりするんじゃあないでしょうか?

と、どうでもいい前おきはこのへんにおいといて、私が思う、実は、凄いんですよ、このひと、偉大すぎてよくわからない監督、新・三大「日本映画において偉大すぎてよくわからない監督」を、ご紹介したいと思います。

やはり、一番にあげたい、偉大すぎてよくわからない監督は「黒沢清」
ひつこい、いや、しつこい、というくらい役所広司を使う監督で有名です。




はじめて、『CURE』を観た時、ああ、怖い。人間って怖い。と思いました。その後も、黒沢清監督の映画は観たり、観なかったりだったんですが、WOWOWのドラマシリーズ『贖罪』を観て、あいやー。やっぱり凄いな。確信したのであります。



このドラマでキョンキョンの悪魔的熟女役は定着したね!!
おかげで、主役級の蒼井ゆうちゃんはすっかり、その他の脇役になっちまったね!!


トウキョウソナタは家族をテーマにした映画だったので観てません。ごめんなさい。





黒沢清は主に、サスペンス映画をよく撮ります。ホラー映画という分類に属されるでしょう。ですが、そこらのホラー映画とは一線を超えた別の恐怖があります。「人間の最大の恐怖の対象物は人間なんだ」というテーマがいつも根強く感じられるのです。
人間は恐怖を感じたときに必ずその象徴を創り上げます。幽霊なんてとても良い例です。でも、最大の恐怖は自分の中にあったり、他人の中にあったりするものなのです。それを認めたくないが為にそんな象徴を創ったりして、問題の根源を自分ではなく他人にあてつけ、他人でなければ、この世にないものに当てつけちゃうんです。そういった、人間の愚かさの表現方法がとても斬新。

あと、このWOWOWテレビドラマ『贖罪 』でみせてくれた、独特な色使いも魅力的。全体的に濃紺な感じに色調補正がされた映像で、徹夜明けの朝方みたいに、かったるさを感じさせてくれて、このドラマの重さをよりいっそう引き立てて、みることができました。





人間の愚かさなんて、誰でももっているし、どんな人間だって間違えるし、天使がいるように悪魔だっているんだ。という事を強く確信できることができ、なおかつ、完璧な人間なんていないんだ、人類皆、野比のび太なんだ!と、この監督の作品には、観る人に大変大きな?勇気を与えてくれたりもします。そんな黒沢清監督は偉大だ、と思いますが、やはり、監督業という仕事は我々素人ではよくわからない特殊なベールで包まれていますから、偉大なことはよくわかるのですが、残り80%くらいはよくわからないのであります。ということで、黒沢監督は偉大すぎてよくわからない監督に決定☆


残り二つは、いずれまたご紹介します。










2012年3月3日土曜日

"You And Me"




『ブルーバレンタイン』というタイトルの通り、欧米でブルーという言葉がつくとたいがい憂鬱というかオモいというか…やっぱりな感じで、男女の恋愛がテーマの映画らしく、始まりから終わりまでなんともはかなげで、ラストに鳴り響く華やかな花火がよりいっそうこの映画の主人公二人の悲壮感をどよーんと漂わせる映画でした。

主人公のシンディという女性は頭がいいのだけれど、ちょっとかわいそうというか、不器用というか、母になればさけることのできない、どぶのように深い子育ての疲れからくる精神的疲労と肉体的疲労による「汚染」にかかってしまう。

夫であるディーンに生活力があり、アル中の一歩手前でなければ、今の状態から抜け出す事ができるだろうと思い込んでしまう「汚染」にかかってしまったのだ。
汚染にかかってしまったから、夫を愛せなくなったのか?それとも愛せなくなったから汚染にかかってしまったのか?それはもうどっちでもいいことで、かわいそうなのは、愛する人の家族のために生きようと決めて、その愛する人から愛がもらえないと嘆く夫のディーンだ。たしかにかわいそうな夫なんだけれども、愛を得るためにはやはり努力は必要ではないかと思う。鷹のトレーナーはダイノジみたいだし、あのグラサンはなんだ?はげ上がった額に、にあいすぎなのだ。あかん。

かつてディーンは、シンディからの愛を得るためシンディの元カレ、そしてシンディの唯一の一人娘の父親であるボビーに嫉妬からぼこぼこに殴られてしまう。(これを機にシンディはディーンに惚れこんでいく。まるで♪けんかをやめて症候群状態)



※あえて、想像力が、かきたてられる?音声だけにしてみました。※

映画の冒頭でボビーとシンディがスーパーで久々に出会い、それを夫であるディーンにわざわざ語るシーンがある。「心配しないで。ボビー、太っていたから」と、言わなくてもいいことを、くどいいようだけど「わざわざ」と、いう。さらに逆ぎれした夫に対し「ボビーは負け犬って、いいたいの」と念を押す。これで怒らなければ男ではないと思う。そう、シンディは彼を怒らせたかった。夫の嫌がることをわざわざいう妻になった。これは単なる夫への当てつけ。「もうあなたの事は愛していない」と言えないから、このような当てつけをしないとならなくなる。

じゃあ、ディーンでない他の誰かとなら、シンディは幸せになれるのか?そんなことはない。どんな男とひっついても結果は同じだと私は思う。
シンディの「汚染」がなくならない限り、どんな男と結ばれようが、結局相手を責めることはなくならない。
では、シンディはなにをどうすれば、幸せになれたのか?家庭を持つことや子どもを育てる事への不安やなくならない悩みから解放されたのだろうか?

(ここからは私のまるっきりの仮定話なのでご注意を。)
…「結局、許すことができないと人は幸せにはなれない。」…のであーる。
これは30年位前のハリウッドのベトナム戦争を題材にした映画『天と地』で、多分、えらいお坊さんが主人公の女性に向けていった台詞であーる。



この、許すことで自分が救われるというなんとまあ、流暢な。もっと端麗な言葉でいいかえれば「無償の愛」だろうか?

あと、この映画にでてくる、たぶん偉いお坊さんは、さらにこんな事までも言う。
「父親がいない家庭で子どもを育てるということは、屋根のない家で子どもを育てるのと同じことだ。」

はあー。すげえぜ。離婚やめようぜ。みんな。やっぱ坊さんだぜ。いうことはんぱねぇぜ、ケタちがうぜ。って感じになりません?

まあ、そこらへんはおいといて、

この、『天と地』という映画は本来は戦争映画ではなく、母として女としてどう生きていけばいいのかというベクトルを示したストーリーなのに、オリバー・ストーンの手によって「ベトナム三部作」ともいわれるコテコテなハリウッド流戦争映画になってしまったのであーる。…と私は勝手に思う。

まあ、そのへんもおいといて…。

ブルーバレンタインという映画を観て思ったことは、たしかに、シンディとディーンの間には愛がきちんとあったということ。
この愛というのがやっかいであって、目には見えない。
じゃあ、形にできないものなの?って聞かれれば、答えはノン。
愛し合う男女には悪い良いも含めていずれは子供ができる。
じゃあ、子供ができないなら愛はないの?って…それは違うだろう。

この世の中に別れたカップルの数だけ、きちんとそこに、愛は、たしかにあった。
この愛は見えないだけで、きちんと存在する。
別れたから全て終わりには、ならない。
別れたからといって、愛は消えない。
記憶や匂いや色んなものに形をかえて、なつかしく思ってみたり、せつなくなってみたりできる。これは、愛がきちんと存在している証拠だと思う。

人間は見えない物はいつしか信じなくなっていってしまった。
みえないものこそ大事なのに…と思う反面、大恋愛中はまったく何もみえなくなるのがあたり前だ。でも、それは皆同じだ。人類皆兄弟だ。

失恋のダメージは多い。自分がよくても相手が嫌なら、好きな人の前から、去らなくてはならないし、いつまでも未練たらしく好きな人のことをじめじめと畳からきのこがはえてくる梅雨の時期のように思うことだろう。
なかには、その去った相手を裏切り者として憎むこともあるかもしれない。
でも、そこは試練だ。大地ではないが、試されているのだ。許しあう。たとえ許されないとしても全部ひっくるめて許す。この寛容さは今現在生きている私たちに足りないものではないかと思う。目にみえない愛をみえるような目に鍛えあげるにはこの「許す」という行為が一番なのではないかとシンディとディーンをみて思った。

とある、精神科医が若い女性の大恋愛は危険と太鼓判を押してるが、その方がこの映画をみたら「やっぱりね」というだろう。でも、アタシはそうは思わない。人は試されないと成長できないし、傷がつかないと過去を振り返ることもできない。
大概の方はこの後味の悪い終わりかたのこの映画にドンヨリするが、アタシは逆だった。

"You And Me"という曲は愛する二人にとっては似合いすぎるほど素敵な曲だ。
でも、幸せであたりまえな時代はもう終わろうとしている。
大量消費の時代も、そろそろ幕切れかもしれない。

どれだけつらい事がおきてもすべてを受け入れる度胸とそれを許す寛大さがないと、この先生きづらい世の中になるかもしれない。

人類皆兄弟。許しあいましょうね。